トキ(日本生まれ)

絶滅したのは、日本生まれのトキ。

 

江戸時代には、空にはトキが、山にはニホンオオカミが、海にはニホンアシカが、当たり前のように棲んでいたのだ。トキは、今のハトみたいにあまりにも数が多くて害鳥的な扱いだったそうだ。

 

1878年(明治11年)頃に、外国から銃が大量に輸入されて乱獲開始、急激に数が減り始める。

1910年(明治43年)明治も終わりにさしかかった頃に、ようやく狩猟法でトキが保護された。

しかし、その頃にはトキの姿を確認する事はできず、みんな絶滅したと思ったそうだ。

1930年(昭和5年)6月に佐渡島の両津小学校で開かれた各地の自慢話座談会で、加茂村の川上氏や新穂村の後藤氏からトキは生きていると言う話が出て来て、新聞などで話題になる。

1932年(昭和7年)に加茂村和木でトキの巣が発見!

1933年(昭和8年)にも巣を発見、巣の中には2羽の幼鳥がいた。その後の調べで推定生息数は100羽前とされた。

こうして絶滅したと思われていたトキは見事な復活をはたした。

1934年(昭和9年)12月28日に、トキは国の天然記念物に指定、明るい未来が見えたように思われた。

しかし、1939年第2次世界大戦が始まるとトキの存在自体が忘れられてしまう。

1953年(昭和28年)には戦後の混乱期も終わりようやく本格的なトキの保護活動が新潟から始まった。

1967年に国の人工飼育をする方針で捕獲されたのが、日本生まれの最後のトキの『キン』でだった。

当時、保護監視員をしていた宇治金太郎さんの名前から一字とり『キン』となずけられた。生まれて1年たらずで人工飼育されたためか、性格は非常に慎重だったそうだ。

1981年に捕獲された『ミドリ』(オス・95年に死亡)と、1985年に中国の北京動物園から借り入れた『ホアホア』と、ペアリングを試みたが、どちらも繁殖にはいたらなかった。

2003年10月10日7時20分ごろに職員(佐渡トキ保護センター)が『キン』が死んでいるのを見つけた。死因は頭部挫傷。突然、飛び上がり、飼われていたケージのドアに頭部をぶつけたらしい。

死亡時の推定年齢は36歳で、人間にたとえると100歳ぐらいだった。

『キン』の死で日本生まれのトキは永遠に地球上から消えてしまったのだった。

学名はNipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)だが、今日本に住んでいるトキは中国系のトキだけになってしまったのだった。2003年10月10日に日本産のトキは完全に絶滅。

 

そんなトキは、季節によって衣替えをするおしゃれなに気を使う鳥なのだ。

春バージョン・・・

4~5月の桜が咲き乱れるシーズンに、グレーのトキに衣替え。桜のピンクには合う色わいをかもしだしている。

秋・冬バージョン ・・・

10~3月・6~7月のシーズンはホワイトとグレーが混ざった感じで、いまひとつセンスのキレを感じないところはマイナス。

夏バージョン ・・・

8~9月の太陽がギラギラしてるシーズンに、おもいっきりホワイトなトキに変身する。This is Toki!.

 

そして、空を飛んでいる時に、真っ白なトキの羽を広げた翼がは太陽に照らされると、うすもも色に美しく輝きあざやかだったところから、『とき色(鴇色)』と呼ばれたのでした。

成人式などで、やや紫に近い淡いピンクの着物を、若い女性が着ているけど、あれがとき色なのだ。

 

人間のファッションのも使われた。


 

2010年12月調べでで中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽

種類・コウノトリ目 トキ科

食べ物・約17センチの曲がったくちばしで、池や水田の泥の中につっこみドジョウやタニシ・イモリ・カエルなどを食べていた。

大きさ・体長70~80センチ。つばさを広げた長さは約130センチメートル。

 

生息地・江戸時代までは日本全国に生息していた。