バーバリライオンが活躍したのはローマ帝国の時代だ。
紀元前6世紀、当時の最強・最大のローマ帝国が北アフリカ征服。
その土地にある珍しい食料や雑貨と一緒に棲んでいた動物たちもローマの都に戦利品として連れて来られた。
動物の中には何百頭のバーバリライオンもいたのだった。
パッと見で見栄えが良いバーバリライオンは、コロッセオなどの競技場で凄腕の剣闘士と死ぬか生きるかの闘いをさせられた。
見かけがデカく強そうなバーバリライオンを倒す剣闘士たちに、競技場の大観衆は目を輝かせ興奮のるつぼだったらしい。
さらに、もっと昔の紀元前27年のローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、禁じられていたキリスト教の人々を処刑するための死刑執行人にバーバリライオンを任命していたのだ。
ローマ帝国にとってのバーバリライオンは剣闘士の敵役であり、犯罪者の死刑執行人であり、お祭りや祝典のにぎやかしでもあったのだ。
人間にとっては「いろいろと便利な野獣」だったのであろう。
バーバリライオンが棲息していた北アフリカは、ローマが衰退しても、イスラム帝国やオスマン・トルコの支配下に置かれた。
18世紀には、ヨーロッパの列強国が進出。
アフリカの砂漠を避けて緑の多いい土地に住み始めた人間。
追い出されるようにアフリカのどこにでもいたライオンは1700年にはトリポリから消える。
1865年にはナタ ールから消える。
1891年にはアルジェリア・チュニジアからライオン達が消えていった。
バーバリライオンも山へ山へと追いこまれ棲みかを無くしていった。
最後に追いやられたのはアトラス山脈だった。
アトラス山脈は人間が住むには自然環境がきびしかった。
しばらくは、人間の魔の手から逃れて生きのびることができた。
それでも徐々に数を減らしたバーバリライオン。
1922年に一頭が銃殺されて地球上から消えてしまったと思われていた。
1996年に再発見される。
2007年に1頭が生息しているのが確認された。
ただし、純血種であるかは微妙だった。
その後、原産地のモロッコのムハンマド5世の私的動物園で飼育されていた純血種の個体群が生き残っていた事が判明。
2012年調べでは、首都ラバトのラバト動物園にて全世界で確認されている個体数の半数にあたる32頭が飼育されており、動物園開業直後に3頭誕生している。
フランスの動物園でも50頭ほど飼育されている。
混血種の飼育下繁殖が行なわれているそうだけど、純血種は絶滅する可能性も高い。
バーバリーライオンの戦いはまだまだつづく・・・
食肉目 ネコ科
食べ物・肉
大きさ・全長4m以上、肩高1m以上、体重350kgを超す大型ライオン。現在のライオンに比べてもその大きさは立派の一言!
生息地・北アフリカのモロッコ北部(アルジェリア・チュニジア・モロッコ)に生息していたが、20世紀の初めにはアトラス山脈にしかいなくなる。