厳しい斜面がたくさんある森林に棲んでいたコーカサス地方のバイソン。
スムーズに移動するためなのか頭は小さく、筋肉隆々で下半身が発達していた。
人間で言うと、逆三角形のようなモテモテ体型だったのだ。
現在アメリカに棲息しているアメリカバイソンと一緒で、数頭の群れをつくり生活していた。
群れの主導権は、人間界と同じで母親がに握っていたのだ。
1~2年間の春の季節に1頭の赤ちゃんを出産、出産率は低かった。
それも絶滅の原因だったのかもしれない。
徐々に数を減らしていったコーカサスバイソンに救世主が現れる。
ロシア皇帝アレクサンドル1世だ!
1802年のアレクサンドル1世が占領していたビャロビエジャ地方の森には、コーカサスバイソンは300頭棲息していた。
皇帝は、ビャロビエジャの森全域を保護区に指定する。
密猟者を寄せ付けないように、住んでいた農民も追い出す徹底振りだった。
1857年には、1846頭まで増加。
1891年には、479頭まで減ったが、第一次世界大戦が始まる1914年には737頭まで回復した。
1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊!
皇帝に保護されていたコーカサスバイソンは、『権力の象徴』のようなイメージが強かった。
そのため、革命の赤軍兵士や飢えた農民は、権力に対しての報復という意味でコーカサスバイソンを殺した。
第1次世界大戦に出兵したコサック兵やポーランド兵はコーカサスバイソンの肉を食用にした。
こうして、革命1年後の1918年には、わずか200頭までに減少してしまう。
1921年までには、兵隊がマシンガンで、ほとんどのコーカサスバイソンを射殺。
最後の1頭は、「コーカサス」と言う名前で動物商のもとで飼育されていた。
しかし、1925年2月26日に死んでしまう。
コーカサスバイソンも地球上から消えたのだった。
種類・偶蹄目 ウシ科
食べ物・森の草、シダ、樹皮、木の実など
大きさ・体長3.4m(尾の長さは含まない)、体高2m、体重は1tを超えるものもいた。
生息地・ポーランドとロシア国境のビャロビエジャの森と、ロシアのコーカサス地方